第7回 飛騨市神岡町瀬戸地区

開催日
2010年7月17日
参加者数:
情報なし

7回目を迎えた今回のお手入れお助け隊は飛騨市神岡町の山之村地区で行なわれました。飛騨山之村とは伊西・森茂・下之本・岩井谷・打保・和佐府・瀬戸の7つ集落の総称で、標高約1000mの高地に位置しています。約700年の歴史を持つこの地域には、萱葺きの家や板倉、地蔵堂など昔ながらののどかな山村風景が広がっております。今回のお手入れお助け隊は山之村の中で一番小さな集落である瀬戸集落で代々農業を営むHさん宅(築150年以上)で行なわれました。

また、今回はNPO法人日本民家再生協会「民家フォーラム2010 in 飛騨市」のプレイベントを兼ねて行なわれ、通常の民家のお手入れだけではなく、お手入れ先の民家の造作の説明、飛騨の棟梁を囲んでの夜なべ談義、棟梁のガイドでの萱葺き民家などの見学、そして飛騨里山サイクリングとのコラボレーションで山之村サイクリングなど、いつもより充実した内容で2日間のスケジュールで行なわれました。

1日目

築150年以上の農家民家のお手入れ

集合場所である山之村牧場駐車場に集合したあと車に同乗しお手入れ先の瀬戸集落に移動しました。この瀬戸という集落、過疎化の進む山之村でも一番小さな集落であり、現在人が住んでいるのは今回のお手入れ先のHさんの家のみとなってしまいました。広い家(間口14間×奥行き6間、計約800平方メートル)にご主人と奥さんの2人だけで暮らしており、昔は家族総出で行なっていた柱・梁磨き等のお手入れを二人だけでするのは大変な作業です。そんなHさんのお宅をお手入れすべく全国各地から15人のボランティアが駆け付けてくれました。東京からこの日のために駆けつけてくれた人、高山で会社勤務の傍ら無農薬の農業に挑戦している人、古民家に興味のある大工さんなど古民家・農村生活に興味を持つ多くの方が集まってくれました。

瀬戸集落の坂を上っていくと、石積みの上にどっしりと建った家が見え、その家の周りは一面を緑豊かな森に囲まれておりました。

最初に家主の奥さんからご挨拶をいただき、その中で『玄関の戸を開けているとヘビやツバメが入ってくるので気をつけてほしい』という言葉に、この地域ならではの自然と対峙した暮らしの様子を感じました。参加者それぞれの自己紹介のあとは作業分担をし、今回は玄関、座敷、2階の3グループに分けての作業となりました。

家屋に入ってまず目に入ってきたのは、座敷の高い天井と現代的な家ではまず見ることの出来ない中丑と呼ばれる、両手でも抱えることのできないほど太く立派な梁でした。

その中丑を磨くために、まず脚立を何台か設置しその上に板を載せその板の上に登っての作業となりました。まず、ほうきで長年たまっていた埃を落としてから水拭きし、そのあと米ぬかやエゴマの油で丁寧に磨いていきました。梁以外にも障子戸や床を磨きあげると穏やかな光を放つようになり、より一層部屋に荘厳さが増したように感じられました。

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昭和初め頃まで養蚕が行なわれていた2階はとても広く、天井も高く柱や梁もどっしりとして大変立派なものでした。しかし、現在は家主ご夫妻も2階にはめったに立ち入ることなく、薄暗い部屋の中は格好のコウモリの棲みかとなっており、そのため2階での作業は、まずコウモリと格闘し部屋の中から追い出すことから始まりました。窓を開けてほうきを振り回し、なんとか3匹を捕獲し十数匹のコウモリを追い出すことに成功しました。その後は部屋にたまった埃やコウモリの糞を掃除する作業が待ち受けていました。5~6人で手分けして部屋の水拭きをし、2時間程かけて部屋の中を奇麗にしました。

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2階の作業班は、家の構造について棟梁からお話を聞きながら作業をすることが出来ました。例えば床板が同じ方向でなく違う向きに敷かれており、棟梁自身もその理由は分からないそうですが、こういった敷き方は大変珍しくこの家独特のものだとのことでした。

また、2階には藁を保存してあり、冬の間はそれを下の馬屋に2階から落とし、藁に馬の尿や糞をしみ込ませておいたそうです。冬は糞や尿を取り出せないため藁にしみ込ませておいて保存しておき、春になったらその藁を取り出して畑にまいて堆肥として使ったそうです。こういった昔の生活の知恵が詰まった家の構造の話を聞くことで、あらためてこの家の貴重さが分かり、もっとこの家を大事に守っていかなければならないなという気持ちが強くなり、柱や床磨きにもよりいっそう精が出ました。

2階は広く、時間の関係ですべての部屋のお手入れをすることは出来ませんでしたが、16:00頃本日のお手入れ作業を終了しました。

金子棟梁からの家の説明

お手入れが終了したあとは、今度は全員で金子棟梁と家の中を周りながら、家の構造や継ぎ手などの造作、家に残る昔の農機具の使い方、農家の暮らし等について興味深いお話をたくさん聞かせていただきました。

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今回のHさん宅ですが2階は電気の配線もしておらず昔のまま残っているというのは大変珍しいそうです。また、参加者から「当時はクレーンが無いのにどうやって2階のこんな高い所まで太くて長い梁を持ち上げたのか」という質問には、「三角梯子」という道具を使って両側からロープで引っ張り上げたとのことで、昔の匠の技の知恵に一同感心しきりでした。特に印象に残っているお話は「ちょうな」という大工さんが使う木を削るための道具の話で、大工さんは自分の体にあった形の木を探して自分だけの道具を自分で作り、他人の道具は絶対に使わなかったそうで、こういった道具一つに対しても厳しいこだわりを持つ大工さん達によって飛騨の匠の技が継承されてきたのだなと感じました。

その他にも、馬を富山に作馬として貸出したり、くず・わらび粉を生産して現金収入を得たりしていた戦後の農家の生活のお話を伺ったり、何気なく置いてある農機具の説明を受けることで当時の生活の一端を垣間見ることが出来たような気がしました。

最後に、古民家の保存と継承の願いをこめて「伝統ある古民家のお手入れ終了証」の裏に参加者全員がサインし、それを家主さんに手渡し民家を後にしました。

夜なべ談義

お手入れ活動の後は、山之村キャンプ場にある萱葺き屋根の建物で囲炉裏を囲んでの夜なべ談義をおこないました。

お手入れ活動に参加してくれたメンバーの他にも、地元山之村の方にも数名参加していただきました。地元の方に囲炉裏でイワナを焼いてもらったりコツ酒を作ったりしてもらい、この地域独特の食事を楽しみながら様々な話に花をさかせました。

今回の会場の萱葺きの建物は他の場所から移築されてきたもので、現在人は住んでいませんが、萱は人が住まなくなって囲炉裏の火を毎日焚かなくなると持ちが悪くなるそうです。この建物も萱が腐ってきており雨漏りがするため、すぐにでも葺き替えが必要なのですが、そのためには莫大な費用がかかり維持していくのはとても難しいそうです。山之村地区も白川郷のように以前は萱葺きの家がいたるところにあったのですが、現在の残っているのはここを含めて3軒のみとなっています。日本の田舎の原風景とも言うべきこの萱葺き屋根の家をなんとかうまく残していく方法はないものかと考えさせられました。

その他にも山之村の現状、地域と行政との関わり等について熱い議論が交わされ、いつものお助け隊の活動だけでは知ることの出来ない生の声に触れることが出来たように思います。

2日目

大下家見学

2日目は金子棟梁のガイドで、山之村で特徴的な2軒の民家を見学に行きました。

最初に訪問したのが山之村に3軒残る合掌造りの萱葺き屋根の民家のうちの1軒・大下家(森茂地区)です。山之村は「にほんの里100選」に選ばれており、その代表的な風景としてこの大下家と周辺の板倉が紹介されております。

以前ご主人から伺った話ですが、萱の葺き替えはご主人が一人で行なっており、一度に全部は出来ないので少しずつ何年かにわたって葺き替えておられるそうです。現在まで昔のままの景観を残されているご主人の努力にはただただ脱帽するばかりです。

金子棟梁からは合掌造りの民家と板倉の特徴について説明をして頂きました。母屋は家主さんが不在のため中まで入って見ることはできませんでしたが、木組みの麻縛りはどうして紐がゆるくなっているのか、萱葺きは囲炉裏で火を焚くことにより煙のススで萱の保存ができこと、雪下ろしの方法、萱の葺き替え時期の見極める方法など合掌造りの特徴などを棟梁から詳しく説明していただきました。

次に母屋から少し離れたところにある板倉を見ながら、農村地区に多くある板倉と町屋に見られる土蔵の違いについて説明して下さいました。

板倉は現代でいう倉庫としての用をなしていました。昔は冠婚葬祭等すべて家で行なっていたため、その時に使用するお膳や食器類をどこの家もだいたい20人前ずつ保管しており、その他にはお米や、当時はとても貴重だった寝具類も置かれていたそうです。こういった貴重な物を母屋が火事になったとき延焼を防ぐため、板倉は母屋から離れた場所に建てられました。板倉には硬くて腐りにくいクリやマツの木が使われ、今回見学した板倉のように築100年以上の板倉も多く残っています。そして板倉は木造のため土蔵に比べれば経済的に建てることが出来たようです。冠婚葬祭を家でやらなくなった現代では、昔のままの食器類がそのまま置かれているか、農機具類等の保管場所として使われているそうです。

土蔵も板倉と同じように昔は冠婚葬祭用具やお米、寝具類が保管され、その他では掛け軸や彫刻等の工芸品・美術品を保管する家もありました。現代では高価な着物や金庫を置いている所もあるそうです。町屋では母屋から離して建てるスペースがないため耐火性のある土蔵が造られ、また隣接する民家との延焼を防ぐ機能も備えていました。土づくりの土蔵は建てるのに手間も時間もかかり土蔵を持っているような家はかなりのお金持ちだったそうです。土壁の内部にはスギの木が使われることが多かったのですが、高級な土蔵になるとモミの木が使われ、モミの木は湿気を吸収したり排出したりして室内の湿度を一定に保つ機能を持っていたそうです。

こういった飛騨の匠からの視点のお話を多く聞かせていただくことで普段何気なく見ている合掌造り民家や板倉についての理解が深まったのと同時に、飛騨の匠の技、昔からの生活の知恵の奥深さというものに触れることができたように思います。

松葉家見学

次に和佐府集落にある豪華な佇まいの松葉家に向かいました。松葉家は江戸時代は農家でしたが、明治時代には金融業と製糸業を営んでいたそうです。

松葉家は、前日お手入れしたH家がすっぽりと入る間口16間×奥行き7間4尺(約29m×13.7m)の大規模な民家で、屋根は雪下ろしのために、以前あった屋根の上に落雪式屋根がある二重構造になっていました。

玄関に入ると飛騨地方でも珍しい大戸とくぐり戸が目に入ってきました。日中は大戸を開け出入りをし、夜は防犯のため大戸を閉めくぐり戸から出入りをしているそうです。昭和40年頃までは玄関のすぐ隣で馬を飼っていたそうで、馬が暴れて蹴ってもびくともしないような太い梁が当時の馬屋の面影を残していました。中に入ると開放感のある吹き抜けの座敷、2人の大人でやっと持ち上げられるくらいの重厚な生漆(きうるし)のケヤキのテーブル、当時手に入れることが非常に困難だった秋田杉をふんだんに使った天井、書院造のお部屋など、その豪華さと精巧な造りに誰もが息をのみながら見学をさせていただきました。

製糸工場として使われていた2階も広く天井には貴重な木材がふんだんに使われておりました。また当時使用されていた貴重な道具も多く保存されており、製糸業で隆盛を極めた松葉家の様子が伝わってきました。

ご主人のお話では2階の掃除にまでなかなか手が回らないとのことで、今度是非お手入れお助け隊の力を借りたいとのことでした。

松葉家の見学のあと、隣の打保集落に移動し、お助け隊の隊員の一人が所有する板倉の内部を見せてもらったり、現在廃屋になってしまっている地区の現状を視察しました。

サイクリング

お昼休憩を取った後は、今回飛騨里山サイクリングの協力で開催されることになったマウンテンバイクでの山之村サイクリングをおこないました。飛騨里山サイクリングは通常、飛騨市の古川町を中心にガイドツアーやレンタルマウンテンバイクのサービスをおこなっているのですが、今回初めてお手入れお助け隊とのコラボレーションが実現し山之村を巡るサイクリングをおこなう運びとなりました。

参加者はガイドを含め6名で、スタート地点である森茂地区の宿泊施設から出発し、山之村牧場、岩井谷集落、山之村小中学校前を周る1時間ほどのサイクリングを楽しみました。

参加された方のほとんどがサイクリングをするのは久しぶりとのことでしたが、四方を山に囲まれたのどかな農村地帯を走るのを楽しんでいただけたようです。

最後に

今回のお手入れお助け隊は、民家のお手入れ、夜なべ談義、民家見学、サイクリング等の様々なイベントを通して、楽しみながら地域のことを知ること出来たように思います。また、民家の保存や再生に関心をもつ参加者同士が交流を深められたことも大きな収穫でした。今後も里山サイクリングとのコラボや泊まりがけでのお助け隊等を企画し、よりいっそう参加者に楽しんでもらえるお助け隊を目指していこうと思います。

快く受け入れて下さったお手入れ先のご家族の皆様、全国各地からお集まり下さいました隊員の皆様、食事の準備等して下さいました山之村の皆様方、取材に来ていただいた報道各社の皆様、ご協力本当にありがとうございました。

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参加者からのコメント

  • いつものお助け隊では参加者同士の交流が深く図れませんでしたが、今回は泊まりがけということもありいろんな方とお話をすることができ、大変有意義に過ごすことが出来ました。今後もこういったイベントがあれば是非参加したいです。(28歳 男性 高山市)
  • 今まで古民家の中を見たことは何度かありますが、今回のように現在も人が住んでいる古い民家の中に入ったのは初めてで、貴重な体験となりました。お手入れが終わったあと家主さんから感謝されとても嬉しかったです。(27歳 男性 飛騨市)

金子棟梁からのコメント

今回訪問したHさん宅や松葉邸において、職人としての基本的な墨付け等、建築物の本当の原点を皆様に見ていただくことが出来たのではないかと思います。参加者の皆様には何か一つでも建築のことについて勉強になればと思いながらお話させていただきました。夜なべ談義ではお酒を飲みながらでしたので建築の講義という形ではなかったですが、より身近な話題も交えながら飛騨の暮らしについて知っていただけたのではないでしょうか。