第3回 飛騨市神岡町上小萱地区

開催日
2010年1月17日
参加者数:
6名

大戸のあるよつで造りの民家

神岡町小萱地区でのお手入れ作業は、時節柄、雪の降り積む中の作業となりました。対象の家屋は築年数不明、おそらく築120年以上、玄関にくぐり戸付きの大戸が残っている、間口8間半、奥行6間の、よつで造りの立派なお宅です。

よつで造りというのは、一般的な飛騨の農家民家が家屋の左端または右端に、日の字型に「ぶつま」と「でい」という2つの座敷を持つのに対し、田の字型に4つに区切られた座敷を持つ家屋で、間口が8間以上あるようなお宅でないと見られない、なかなか珍しい間取りです。

このよつで造り、田の字型と言っても、多くの場合は上下左右均等に分割されているわけではなく、左右どちらか、家屋の端側にある日の字の方が広く作られ、床の間があり、もう半分の日の字には仏壇があることが多いようです。また戦後になって、その手前にあった「おえ」や「ざしき」などと呼ばれる板の間を日の字に区切り、畳を敷いてよつで造りのように見せる改装を施してあるお宅が幾つもありました。

飛騨の人にとって、よつで造りのお宅に住まうことはステータスだったのかもしれません。その証左として、かつて庄屋さんや豪農であったようなお宅、その集落を切り開いた歴史ある家柄のお宅には、よつで造りの家が多く、「おえ(ざしき)」よりも「でい」や「ぶつま」が一段高くなっています。その中でも更に立派なお宅では、よつでの一番奥の座敷2間(おくのでい、まえのでい、などと呼ばれます)がまたもう一段高くなっているところもありました。

これは伝聞によると、今のように集落ごとの公民館や集会場が出来る以前、その集落の寄り合いなどがその年の集落の代表の家で行われたこと、豪農と小作と下男、という身分の差がかつてはあったためだそうです。高い場所から低い場所へと位の高い順に座り、一番位の低い人たちは、玄関の土間に腰掛けて寄り合いに参加したとか……

今回の対象家屋も、おそらく由緒のあるお家なのでしょう。玄関の引き戸をくぐって開口一番「素晴らしい」という言葉が思わず出ます。高いあがりたて、ところどころ傷みはすれど立派な格子戸や中すき戸、そして「ざしき」と「よつで」を分ける美しい拭き色に艶めく板戸……。天井を見れば、さすがに2階の床板は一部新しいものの(床板が見えるということはつまり、コンパネなどは一切はってありません!)、黒々と煤けた中丑や土路丑、梁や桁のその重厚感・存在感。ムクムクとやる気が湧き上がってきます。

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作業開始

今回のお助け隊は参加人数が家屋の規模に対してやや少なかったため、「よつで」のお手入れは時間に余裕があれば、ということで始まりました。玄関班、「ざしき」班、まわり廊下班の3箇所に分かれて作業開始。

玄関部分はお助け隊の隊長が一人で担当。まず、玄関周りの整理から始まりました。このお宅では長く大戸を使っておらず、大戸そのものは開け放ったままになっています。内側に開いた大戸の手前には大きな下駄箱が据えられており、玄関の敷居には既に、ガラスのはまった木製の引き戸が入れられています。大戸は残念ながら昔の名残といった雰囲気ですが、新しい戸が入っていながら大戸がそのまま残っている例はこのお宅の他にはこれまでありませんでした。そもそも残っているだけでも価値のあるもの、是非この機会にお手入れをしておきたいところ。というわけで、掃除の障害になる物や埃を落として汚してはいけないものを移動させます。傘立てをどけると、その下から藁打ちに使う石が不意に顔を出したりしました。整頓が終われば今までと同じ手順。隊長は慣れた手つきで天井や梁、柱などを丁寧に水拭きし、乾いた頃を見計らってまず荏の油で磨き、その上から更に米糠を入れた布袋で磨き上げていました。

「ざしき」班は主に天井の掃除と柱や板戸のお手入れを行いました。天井は低めの脚立の上に立っての作業。2階の床板と「ざしき」中央を走る化粧梁の間に10cm程の空間が空いている箇所があり、そこには長年の埃や建造当時の物か、はたまた天井の板の張り替えの際のものか、大量の木くずが溜まっていました。まずはそれを下にこぼさないように丁寧に取り除いて、水拭きをします。今では飾りになっている、梁の所々に取り付けられたままのガイシも、中央のくぼみの部分に分厚く煤がこびりついており、隊長の指示もあって丁寧に拭き取りました。ガイシが一つ一つ白さと取り戻すたび、梁の黒とのコントラストで部屋の中が明るく美しく感じられ、意外と大きな達成感を得られます。水拭きが一通り済んだ後は、ツヤがないということで一番油分を与えられる荏の油を使って磨いたのですが、黒く煤けた箇所は今まで磨かれたことがほとんどないので、何度拭いてもどんどん油を吸ってしまいます。鏡のように美しい拭き色が出るためには、こうした作業を毎日のように連綿と続けなければならないのかと思うと、昔の人のこまめさに対し頭の上がらない、目眩にも似た思いがしましたが、めげずに作業を続けます。

まわり廊下班は家屋の表側のみをお手入れ範囲として、天井や柱、床板を磨きます。昔どこかで目にしたことがあったような気もする、足踏み式の古いミシンが置かれたその廊下は、廊下と呼びつつも幅が1間ほどもあります。しかし担当隊員たちの懸命にお手入れ作業の甲斐あって、そちらの作業はスムーズに進行。終了後はまだ手つかずだった「ざしき」の柱や板戸のお手入れをサポートして頂きました。板戸や柱についても今までのお手入れ手順と同様、軽く水拭きをし、それが乾いたら米糠やクルミを用いて磨き上げました。

そうして各班が作業を一段落させたのは、午前1時を過ぎた頃。第1回、第2回のお手入れお助け隊で経験を積み、段取りを学んできたスタッフばかりでしたが、人の数に対して範囲が広く、どの班も予定していた作業終了時間の正午をかなりオーバーしての作業終了となり、結局「よつで」のお手入れは実現しませんでした。

作業終了 – 撤収

お手入れ作業終了後は、畳の上にお家からお借りした掃除機をかけ、用具の後片付けをし、「ざしき」に大きな座卓を2つ並べ、お手入れと平行して屋根の雪下ろし作業をされていたご家族(お疲れ様でした)と一緒に昼食を頂きました。今回はなんと、私たちが用意した豚汁とは別に、ご厚意で神岡名物の「とんちゃん」を提供して頂きました。これにはみんな恐縮しきりでしたが、作業の後の空腹もあいまって、あまりの美味しさにすぐに平らげてしまいました。ごちそうさまでした!

お腹を満たした後は、ご家族らと共に古民家の話や木材の話に花を咲かせます。中学3年生の子供さんは、

「小さい頃、友達から大戸があって大きな家で暗くてお化けが出るような家と言われていた」

とのことで、私たちは、こんな大きな家は今建てようと思ったらこんな材料もなくたいへんお金がかかる。造った先祖は立派な人やった、と伝えました。子供さんも

「僕はこれから大切にしてしっかり守っていく」

とうれしい言葉を言ってくれたので、受験勉強にガンバレと励ましました。

改めて自分たちがお手入れした箇所を眺めたりしながら、ゆっくりくつろがせて頂いたあと、今回の作業内容の報告とお礼を延べ、撤収。帰り際にはご家族から感謝の言葉をかけて頂いた上、全員で外まで見送りに出てくださりさえしました(!)

こうして、第3回のお手入れお助け隊も無事に終えることが出来ました。年明けのまだ慌ただしい時期に快く場を提供して頂きました対象家屋のご家族の皆様、本当にありがとうございました。そしてお助け隊の参加者の皆さんもお疲れ様でした。

まとめ

今回は前回と似て、日程調整の関係で告知を出すのが年末になり、年をまたいで間をおかずの開催だったため、告知や連絡などの周知が満足にできず、県外からの参加者がいらっしゃいませんでした。高山市から1名が参加してくださった以外はお助け隊の常駐スタッフのみというお手入れ作業で、

  • 前回の反省点が十分に生かせなかったこと
  • 人数が少ないために作業範囲が限られてしまったこと
  • 第1回と比較して掃除のしがいがあったことなどから、当初の予測よりもだいぶ時間が掛かってしまったこと

などは、必ず反省点として次回につなげよう、また、

  • 畳敷きの部屋の掃除を行う際には、天井の梁や桁に積もったゴミや埃がかなり多いため、ブルーシートなどを準備しないと後片付けの際に苦労するし、ひとつ間違えれば畳などを汚して、かえってご迷惑を掛けかねないので十分注意が必要だ
  • スタッフだけでのお手入れ作業では黙々と作業しがちになってしまうようで、これは最初の反省項目につながることですが、やはり多様な人々の参加があって初めてご家族にとって感じ得るものがあったのでは

などと、参加者それぞれが振り返りましたが、全体としては第1回、第2回と同じく、対象家屋のご家族に喜んでいただけたことで、今後のお助け隊の継続についても再度自信と確信を与えて頂き、成功裏に終わったと言えます。