飛騨の匠の技術が息づく飛騨民家
現在見られる飛騨の民家の多くは、切妻2階建て、トタン葺きで、軒がかなり深く、太い垂木、軒下の小腕に意匠があります。大屋根は勾配はやや緩やか。これは元々クレ板葺きに石置きだったためで、白川郷に代表される合掌造りの急勾配とは対照的です。
中に入れば、黒光りする重厚な柱と梁が見事です。今では得難い材が贅沢に使われています。
江戸中期に養蚕が盛んになり、現在見られる民家が発達しました。大屋根の乗った2階は、養蚕部屋として生まれたもので、天井は低く、屋根裏部屋のようになっています。
古くは寄棟式入母屋合掌造りの茅葺屋根であったものを、勾配のゆるいクレ板葺き切妻屋根に改造し、その後トタンに葺き替えるといった変遷をたどった民家も多いようです。
飾り窓が見られるものも多く、農家でありながら洗練された意匠があり、長い年月を経た今もこの美しく堂々たる雰囲気が特徴的です。
祭り文化と家屋との関わり – 見栄と財産 -
人の住む飛騨民家が多く残っているのと同様、各地域にある神社の祭りも今に受け継がれています。かつて飛騨の人々にとって、祭りは今以上に神聖な儀式であり、祝い事であり、楽しみであり、また果たさなければならない責務でもありました。
在郷(ざいご, ざい)と呼ばれる市街地外の地域では、神様が当番の家に「宿」をとり、数日間をかけて地域内の各家を回って練り歩いたそうですが、この「宿」の当番になった家には神様がいらっしゃること、村の人が沢山訪れることから、祭りの「宿」になるという理由だけで気合を入れて家を建て直すお宅もあったそうです。立派な家を持つことはかつて、一家の周囲に対する見栄であり、また家そのものがかけがえのない財産・誇りだったのです。
その証左として象徴的なのが「で(でい)」と仏壇と床の間のある「ぶつま」です。これらは家の中でも最も立派で美しい造作がなされていましたが、法事や祭り、その他来客のある時以外は普段住人が使用することのない部屋でした。そんな部屋がありながら、住人は小さく質素な部屋に全員が身を寄せて暮らしました。


